日常診療で、本当、以前からなのですが医者の言う「自律神経の調節がくるってしまっています」を、「精神異常だと思います」と置き換えて解釈してしまう患者さんが多くいます。
人間のすべての活動(細胞レベル、組織レベル、臓器レベル)に、自律神経は関与しています。すべてです。
だから、どんな症状や病気でも「自律神経の異常」を伴っています。
医師が患者さんに症状のことを語るとき、自律神経の関与を言い添えるのは、むしろ健全なことです。
これは前提として当然です。先ほども言ったように、どんな症状や病気でも自律神経の作用を伴っているからです。
なので、そういう医師は、「自律神経のせいにしている」のではなく、正しく説明しようとしているのだと思います。私もそれを心がけています。
自律神経というのは、心臓を動かして整える、呼吸を整える、体温を整える、汗の量を調整する、排尿の調節をする、胃腸の動きを適時調節する、・・・といったことのみならず、痛み・心配・不安・焦り・興奮・恐怖といった情動反応までその「交通」の役目を担っています。
私の自律神経のイメージは、「操り人形の糸」です。操っているのは脳、操られているのは身体のそれぞれの場所です。
一方、「精神」という言葉は「自律神経」に比べて漠然とした言葉です。
私も安易に使わないようにしています。
イメージとしては「大脳全体」です。
自律神経が糸のイメージで、しかも身体の各所と結びつけるものでしたが、精神というのは脳全体の機能/働きそのものを指していて、つかみどころのないモヤっとしたイメージです。
ところで「精神疾患」の代表例に、統合失調症やうつ病、双極性障害などがあります。
私は勝手に、精神疾患というのを「症状が精神症状であるからだの病気」と捉えています。
症状が「精神科の学会で定義されるもの」なだけであって、「からだ病気」のグループに入れてしまってもあまり困らないと思っています。
精神疾患と呼ばれる人でも、その異常の主座が脳にある以上、同じ脳にある自律神経の司令塔も調節は狂いますしむしろそれが前面に出ることも多いです。
そもそも脳も身体の一部です。
すでに述べていますように、全ての身体の症状に自律神経は関与しています。
脳は大忙しなのです。
長引く倦怠感や疲労感、微熱などが解決されずに続くような、難しい疾患の患者さんというのが、昔から以前から、コンスタントに一定の割合でいつもいます。
何かのきっかけで突然始まる人も多いようです。
その人たちの治療は簡単ではありませんが、そういう人たちは、それぞれのかたちでそれぞれのそれなりの安寧に至るまでに、「過去にたくさん、うつ病とか心療内科的問題だと医者に言われた」という負の恨みがましい感情を抱いていることが多いように思います。
まあ“色々”あるのは承知していますが、個人的にはそういう症状であれば、医者がうつ病などをまず考えておくのは常識かつ健全であると思っています。
まれな疾患をすぐ考えるより、疾患頻度からいってうつ病を考えることは、コツでもなく何でもなく必須だからです。
うつ病などの「精神疾患にされた」という“その種”の感情はよくわかりますが、ではそのうつ病などの精神疾患の患者さんの気持ちはどうなりますか?
私は、「うつ病などの精神疾患“なんかにされた”」という感情を表明すべきでないと考えます。身体の症状に悩む患者さんであっても。
まずうつ病を考えた医師はその手順は決して間違っていません。
「精神の異常、精神病などと言われた」という患者さんのものの言い方は、すみません、これは職業人としてではなく私個人の考えになりますが、すごく不快な言葉です。
精神が異常になることなんて、誰でも、明日はわが身です。
「精神の異常、精神病などと言われた」という言い方は、非常に差別的な物言いです。
精神の異常・正常で人を分けることは、社会を豊かにすることを、間違いなく阻害します。いくら、辛い症状を抱える患者さんの発言であっても、私は不快に思ってしまいます。
未熟な人間で申し訳ないです。
ただ私は心配していません。
診察室で、患者さんとお話すると、そんな言い方をする人はいません。
話せばわかってくれます。
ようやくここで一応言い添えますが、医者の方が差別してる人もいますね。誤解を招くようなことを言った医者に代わって私が謝ります。ごめんなさい。
精神科に通っていることを隠している患者さんは多いです。
私はそれがとても悲しいのです。
人にはそれぞれの辛さがあります。
辛さで、人と競わないでください。
区別しないでください。
大きい声でものを言える人は、どうぞ頑張ってください。
私は、声も出せず、うまくものを伝えられない人の傍に寄って立とうと思います。